2010年2月20日土曜日

思い出のコパ・アメリカ

3月にメデジンで南アメリカ競技大会という南米各国が参加する大きなスポーツ大会があるのですが、国際的なスポーツ大会と言って思い出すのが9年前のサッカー、コパ・アメリカのこと。その時メルマガに書いたものを再掲します。南米って侮れないなとこのとき実感しました。

以下、再掲記事。

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 ラテンアメリカで行われる大きなサッカーの国際大会の一つにコパ・アメリカ(あえて訳すなら「アメリカ杯」とでもなりますか)というものがあります。私はこちらに来るまでそんな大会の存在さえ知らなかったんですが、1999年にはパラグアイで開催され、そのときに、「次の2001年大会はコロンビアでやるんだよ」と、夫の甥っ子に教えてもらいました。そのせいかどうなのか、市の繁華街や大きな道路の改良工事も数か月前までには大体終わり、市内に新型バスまで走り始めました。夫は、そういう工事はコパ・アメリカとは無関係だと言っていたんですが、麻薬や誘拐やテロで有名なコロンビアがここでがんばってイメージを回復したいと思っていないとは言い切れない気がします。6月に入ってからは、スタジアムで警官たちが行う暴動対策訓練の映像も見かけました。客席の屋根からいっせいにロープで降りてきたり、特に問題のある客を客席から連れ出すためのロープシステム(何と言うのかわかりませんが、ロープにフックを引っかけて滑らせる、ビルからの人の救出なんかに使われる、あれです)などがあって、力の入り具合がうかがわれます。開催はいよいよ7月の11日。

 仕事から帰ってきた夫が「コパ・アメリカ、中止になったらしいよ」と言ったのは6月28日のことでした。いかにラテンアメリカとはいえ(偏見)、あと2週間というところでこんな大きな国際大会が中止になるなんてことがあるだろうか、と半信半疑だったんですが、新聞を買ってみたら、確かにそう書かれていました。

 どうも、直接の原因は、コロンビアのサッカー連盟の役員がFARCという大きなゲリラ組織の一つ(もう一つはELN)に誘拐されたため、治安が問題視されたということのようです。コロンビアの治安がよくないことなんか、何年も前、ここを開催国に選ぶときからわかっていたはずなのに……。誘拐された役員氏は既に解放されたものの、新聞によれば、コロンビアでの開催は中止、別の国で開催するということで、ブエノスアイレスなどが候補地に上がっているようでした。

 もう少し詳しいことがわかるかと、午後7時のテレビのニュースを見てみました。そしたらなんと、「コパ・アメリカはコロンビアに戻ってくるかもしれません」とアナウンサーが言っているではないですか。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで南米サッカー連盟の役員会議が行われ、30日の土曜日に、どこで開催するかを最終決定することになったようなのです。ここで、誘拐されていた役員氏がテレビに出ていましたが、どこかよくわからない屋外でインタビューされながら、疲れ切った感じで、「FARCは非常に規律がとれていて、待遇も非常によかった」とゲリラを誉めていました。本人は「家族には身代金を払うほどの金はなかった」と言っていたようで、なぜ解放されることになったのか、私にはよくわかりません。

 そして30日、出先でたまたま昼のニュースを見たら、「コパ・アメリカはコロンビアで開催されることになりました」とアナウンサーが伝えていました。ブエノスアイレスはコロンビアよりも時間が2時間早いので、コロンビアでは午前中のうちに結論が出てしまったようです。前評判では連盟の10か国のうち7か国がコロンビア開催を支持しているということだったので、それほど意外とは思いませんでした。コロンビア開催に強硬に反対したのは、アルゼンチンやブラジルなどの、国も大きいしサッカーも強そうな面々だったようなのですが、連盟の議長がコロンビア開催を推したらしいです。

 が、その日の夜、例によって7時のニュースをちゃんと見たら、コロンビアで開催することはするが、それは2002年の1月、ということになってしまっていました。あと半年で治安が改善されることを期待したのでしょうか。あまり変わりがないような気が……。

 でも開幕予定日までもう10日あまりしかないという状態なので、その日のテレビのCMでもコパ・アメリカ関連のものはまだ残っているし、スーパーに行けば「コパ・アメリカチケット当選者」の一覧は張り出されているし、ディスカウントショップでもなぜかブラック&デッカー社製の電動ドリルにサッカーボールがおまけでついているし(ブラック&デッカーのロゴ入り)、私たちはこの週末に引っ越してそのついでに古かったテレビを買い換えたんですが、テレビにまでサッカーボールのおまけがついていました(テレビ自体はどうもコパ・アメリカを狙ってフェアをやっていたようですが、ボールにはなぜかオリンピックのマークが)。テレビを運んでくれた若い店員はテレビよりもサッカーボールに気を取られていて、彼が目を離した隙に私たちがボールをテレビの箱にしまってしまったら(テレビの動作チェックをしたので箱が開いていたのです。でもボールを隠そうと思ったわけではありません)、「ボールどこ行きました?」と焦っていました。彼もコパ・アメリカを楽しみにしていたんだろうなと思うとなんだか気の毒にさえ思えてきました。だって、半年先にちゃんとコロンビアで開催される保証はどこにもないわけですから。

 引っ越しの途中で体調を崩したこともあり、新しい住まいの片づけなどでばたばたしていて、次にニュースを見たのは7月6日の金曜日でした。寝起きのぼんやりした頭でテレビを見ていたら、国内民放の一つが「コパ・アメリカはRCNで!」というCMを流していて、「まだそんなことを言ってるのか」と思っていたら、続く朝のニュースでアナウンサーが「11日にはコパ・アメリカが開幕します」。「はあ?」。一瞬、本気で、これまでの騒ぎは夢だったのかと思ってしまいました。というわけで、この間の詳しいいきさつは全然知らないのです。

 でも実際に11日になるまでは信用できないと思っていたんですが、11日には本当にコパ・アメリカが始まりました。当日のニュースで、開幕試合が行われるバランキージャでは「(本来は2月の)カーニバルが7月に行われています」と言われていて、それは言葉のあやだと思っていたら、実際にカーニバルでやるようなパレードが行われたようです。そういえば、開会式のだしものもカーニバルっぽかった。それにしても、途中であれだけ揉めたのに、マスコミ始め、みんなが素直にお祝い気分なのはすごいことのような気がします。開会式には女性人気歌手のシャキーラが出る予定だったようなのですが、彼女は結局来ませんでした。ひょっとするとこれで国内の人気を落としたかもしれませんが、普通の状態ならともかく、これだけすったもんだしたあとなので、責められない感じがします。

 他にも予定通りにいかなかったことはいくつかあり、出場予定国のアルゼンチンとカナダはキャンセルになって、代わりにホンジュラスとコスタリカが入りました。カナダはラテンアメリカではないので招待だったと思うんですが、これはもう付き合いきれないと思ったのかもしれません。前回、パラグアイ大会には日本チームが招待されていたのにコロンビアのときに招待されなかったのは、実は治安に不安があるからでは、と勝手に勘ぐっていたのですが、どっちみち今回の状態ではキャンセルになっていたのではないでしょうか。

 バランキージャ、カリ、メデジンの3都市に分かれて予選リーグを行ったあと、大会はペレイラ、アルメニア(という町があるのです)、マニサレスで分散して行われるトーナメントを経て、最後に3位決定戦と決勝戦のためにボゴタにやって来ます。というか、少なくともその予定。コロンビアに住んでいると、何事も、実行されるまでの予定は未定であるということを何度も思い知らされるのですが、まさかこんなに国際的な場面でそんなことが起きるとは思っていませんでした。まだまだ甘かったです。

 コロンビアチームは初日にベネズエラと対戦し、そこを勝利で飾ることができましたが、はたしてボゴタまでやって来ることはできるでしょうか。というよりも、大会自体はこのまま何事もなく無事に終了するのでしょうか。本題とは違うところでドキドキです。この大会、日本ではWOWOWで中継されているそうです。

2010年2月19日金曜日

テンホの遺跡

後日、犬連れでテンホに出発。今回の目的は遺跡を見ることではなく、犬に山歩きをさせることです。遺跡はついで。遊歩道の途中に遺跡があるなら見てもいい、という程度。

最初は夫だけが犬と歩いて私は車で待っていてもいいと思ったのですが、暇すぎて退屈しそうなので一緒に行くことにしました。

市場のすぐ奥に、山に登る道があります。

しかしすごい急坂。遊歩道に入る前に、私は既に息切れしていました。日頃の運動不足ももちろんあると思いますが、そもそも標高が高いので慣れない人がいきなり歩くのは危険です。遊歩道に沿って山道を歩いていくと3000m近くなります。

遊歩道は石畳がきちんと整備されていて、どこを歩けばいいかわかるようになっています。最初の部分は傾斜がきついためか階段になっていました。



日本の神社の石段って……こんなんだったかなぁ……はぁはぁ。みたいな感じです。

遊歩道の始点には地図があり、途中にはなんらかのサービスに使うらしい建物がありました。しかし建物は今はまだ使われていないのか、閉まっています。



その周囲では子供たちが遊んでいました。地図に洞窟があると書かれていたこともあって、夫がひとりの女の子に尋ねてみました。

「この先に洞窟があるの?」

「あるよ」

「ここをたどっていくの?」

「うん」

「ここをずーっと行ったら洞窟って書いてある?」

「うーん……行けばわかるよ」

うるさがられたようです。夫は実はものすごい方向音痴で本人にもその自覚があるので、知らないところに行く時はあらゆる人に方向を聞きまくるのです。メデジンに行った時はメデジンから出る手前でほぼ1ブロックごとに人に聞き、なおかつ最後の曲がり角で間違えてまたメデジン市内に戻るところだったくらいです。私が何か言っても信用してもらえません。初めての場所では迷うのが普通である彼にとって、行ったことのない土地で行くべき方向を勘で知るというのはありえないことのようです(勘というか……これまでに走ってきた方向を考えればそこで逆に曲がることはさらにありえないと思うんだ……)。

その建物の先の道はまだちゃんと整備されていなくて未鋪裝でしたが、一本道で迷うことはありませんでした。

途中の農家からニワトリが迷い出ていたので、山に入ってから放していた犬たちをつなぎます。うちのメス犬には、農家のニワトリを狩った前科があるからです。

いったん下ってまた上がると、「こっちが洞窟」みたいな看板がありました。非常に狭い道です。

ちょっと行ったらすぐに洞窟がありました。見るべきところと言ってはこれだけ。でもそれだけにほかに人がおらず、ちょっと休憩するにはいいところです。昼食とか持ってきてもよさそう。火は使えない気がしますが(火をたくところはあるけれど)。



あとで聞くと、洞窟自体は昔からあるものだそうで、実際に先住民が使っていたのでしょう。スティーヴン・バクスターの小説 "Evolution"(これ自体はSFですが)の中の、ネアンデルタール人とクロマニヨン人が出会ったのはこういう場所かと想像されます。

その先には(少なくとも今は)何もなさそうだったので戻ることに。

ここまでは町から2キロもなく、道の途中から町がすぐ見える程度の場所なのですが、ひとけがないので一人歩きはお勧めできない気がします。治安が悪いとは思えませんが、もし何かあって動けなくなったら誰も助けてくれない可能性があります。携帯は通じるようですが。



戻る途中で、ひとりの男性がさっきの子供たちの何人かと数匹の犬を連れて歩いてくるのに出会いました。どうやらここの管理人らしい。さっき道を教えてくれた女の子は彼の娘で、彼は「小さいガイドなんですよ」と言っていました。

電話番号を聞かれたので(一応、何かを記録しているようだった)向こうの携帯番号も聞いて別れたのですが、彼が連れていた犬のうち、子犬が私たちの後ろをついてきてしまいました。



彼らの犬ではないようなので最初のうちはよかったんですが、もうすぐ町、というところまで降りてきても離れようとしません。私がちょっとかまったので、自分も私たちの群れの一員だと独り決めしてしまったのかも。

町の手前の農家の前に立ち話している人たちがいたので夫が助けを求めてみました。

「この犬の家がどこかわかりませんか?」

「さあねー」

「獣医さんの家の犬らしいんですけど(さっきの男性がそう言っていた)」

「ああ、それなら○○先生の家だわ。もうちょっと上の方の」

上なのかよ!

結局、通りかかった若い男の子が上に向かって犬を追い払ったのでその隙に私たちは町に降りました。大都市よりも何もかもがゆるいのでしょうが、自分の家というものをまだちゃんと認識していない犬を放し飼いにしないでほしいものです。

距離は短いですが傾斜はきつかったこの散歩、ラブラドールの方は疲れてしまって目の焦点が合わなくなっていました。もう若くないですから。

市場の中の食堂なら犬を繋いでおいてもいいということで、そこで昼食。もちろん卵も買いました。

広場横の駐車場に止まっているのはほとんどボゴタナンバー。でもわざわざここに来る人はまだ少ないようです。あんまりメジャーになってもちょっと寂しい。

民芸品の店は見ましたが、中を見ていないのでいずれちゃんと見てみたいです。また、この周辺は馬産も盛んで、乗馬学校やちょっと馬に乗れる施設、馬を売っている牧場などもあります。

2010年2月13日土曜日

遺跡の町テンホ

そもそもの発端は、夫が農場の卵を買いたがったことです。近所で買った卵は「小麦粉の味がする」らしい。安いのは事実です。最近は30個で6500ペソ。1個200ペソ(10円)ちょいですか。

ボゴタからちょっと出るとそこは農業地帯。そもそもコロンビアは農業国です。近郊の町に行けば農家の軒先なり養鶏場なりでもうちょっと新鮮な卵が買えるでしょう。

というわけで行ってみたのがテンホ。名前は知っていましたが、町の中をよく見たことはありません。ボゴタの西に出るとシベリアという各地への街道の分岐点があり、その少し先です。ボゴタの外とは言っても、南北に長いボゴタの南の方にある夫の勤務先と距離は変わりません。

町と町のあいだの街道筋には大型のレストランやアサデロ(主に焼肉を出す店)がいくつも並んでいます。郊外に車で出かけて肉を食べるのが、家族や親戚が集まる時の週末や休日の過ごし方なのです。

しかしテンホの町はボゴタから近いのでたまに人が来るのかな、と少し感じさせる程度の、普通の静かな町でした。教会に面した広場には1月も末なのにクリスマスのイルミネーションがまだ残っています。そこで犬が昼寝していたり。大きめの野良犬がたくさんいましたが、どれもおとなしそう。



コロンビアの町らしく、小さめのコロニアル風な家が建ち並んでいます。ショッピングセンターも可愛らしい。





この時は犬を連れていなかったので町の中のレストランにも気にせず入れます。しかし時間が少し遅かったためかショッピングセンターのレストランなどにはほとんど料理が残っておらず、ポジョ・アサード(鶏の丸焼き)の店に入りました。定食を出すレストランはたいてい昼食限定で午後遅くなると何もなくなるんですが、ポジョ・アサードの店にはいつも食べるものがあります。

丸焼きは食べずに、丸焼きの一部を定食風にしたバンデハ・コン・ポジョを食べました(バンデハとはスープ抜きの定食のこと)。おいしかったけど油っこかった。

その後、近くの八百屋で買い物をして卵がどこで買えるか聞いたら、市場がいいとのこと。

市場はわりとちゃんとした建物で、規模は大きくありませんが基本的な生鮮食料の店は一通り揃っていました。もちろん野菜や果物も売っていたんですが、その八百屋の人が「野菜も市場で買えるよ」などと言ったりしないのは当然です。ニンジンやグラナディージャなど、けっこうおまけもしてくれましたし。

卵は30個で1万ペソ。少々高め。大きさが不揃いなのが農場の卵っぽいです。家で食べたらたしかにおいしかったのでこの値段は仕方のないところでしょうか。

それで用は済んだんですが、広場に面した甘いものの店が気になったのでデザートを食べることに。

やや観光客値段なのか、少し高い感じもしました。だいたい一品3000ペソくらい。しかし店内に穀物発酵飲料であるマサトのつぼが下がっていたり、奥にはアルモハバナ(チーズパン)の工房があったりと、手作り感は満載です。



さらに、もっと高そうなレストランでコーヒーだけ飲みました。メニューを見たらほんとに高い。さっきのデザートの店と同じようなものも置いていましたが、それぞれが倍くらいの値段です。派手な何かがある町ではないので、ボゴタの高級層の隠れ家的なレストランなんでしょうか。



その店を出る時、町周辺の地図が貼られているのに気がつきました。夫は市場に行った時からその市場のすぐ向こうが山になっていることを気にしていて、犬を連れて歩く気まんまんだったのですぐ地図に見入りました。どうも整備された遊歩道になっているような。



見ていると、途中には先住民の遺跡のようなものがあるようです。なるほど、広場を見た最初から何か絵文字のようなものが書かれているのが気になっていたんですが、それは先住民であるムイスカのものだったんですね。



よく見ると町の電柱にもそれが書かれていて、この町のささやかな観光の目玉になっているようです。



というわけで、遺跡の話は次回。とはいえ、ものすっごくすごい遺跡があるというわけではないことはあらかじめお断りしておきます。

2010年2月12日金曜日

悪夢のコーヒーメーカー

先日のコーヒーメーカー壊れた事件の2週間後くらいだったか、夫が職場からコーヒーメーカーを持って帰ってきました。

同僚がいらないからとくれたものをオフィスで使っていたようです。夫は大学教員なのですが、一応自分の部屋があるのです(でも普通のパーティション程度の大きさ)。

前のよりも小型。本体は白いプラスチックで、コーヒーを受けるところに小ぶりのプラスチック製サーバーが。そして本体左側には金属の管が手前に向かって伸びています。

あれ……? よく知らないんですが、これってエスプレッソマシーンに付いている管では?

本体裏には本当に「Espresso Maker」と書いてありました。メーカーからしてシアーズのもののようです。そういえば何年か前にはボゴタにシアーズがあったような。今でもあるのかも。

とりあえず、気にせず普通にコーヒーメーカーとして使うことにしました。

しかしこの機械、微妙にめんどくさい。

まず金属のフィルターに粉を入れます。それから水を入れるんですが、圧がかかるせいかねじこみ式の金属のふたが付いています。本体はプラスチックなのに、内部は金属らしい。

一度は、このねじこみが面倒だと無意識に思ったらしく、サーバーに水を入れてコーヒーを受ける場所に置き、しばらく待っていました。

そのしばらく後、サーバーからカップを注ぐ時にふたを押さえていなかったので熱いコーヒーを手にかけてしまいました。水を入れるところのふたはねじこみ式なのにサーバーのふたは全く固定されていないのです。

さらに何度か目にはちょっと慣れて油断したためにサーバーの位置がずれていたらしく、コーヒーのほとんどがサーバーの外側に流れてしまいました。サーバーは置くだけなんですが、ふたにはコーヒーが流れる穴があるので、その穴とコーヒーが出る穴の位置をちゃんと合わせないといけないのです。

上の空の状態では使えない機械です。しかも私は基本的にいつも上の空なのです。

そうこうするうち、サーバーを置くのを忘れてコーヒーが完全に下に流れてしまった……という夢を見ました。コーヒーごときで夢まで見るとは、どれだけ刺激の少ない生活なのか。

2010年2月11日木曜日

コカーダ

先日のお客さんはコロンビア第2の都市、カリから来た人でした。カリは西の方、ボゴタよりももっと低く、暑いところです。

おみやげにコカーダをいただきました。cocada はネットで調べると主にブラジルのお菓子らしい。ココナツの千切りを砂糖で固めたものです。

コロンビアのものは黒砂糖、パネラで固めるようです。

持ってきてくれた彼女はコカーダが好きじゃないというので、「自分が好きじゃないものをおみやげにするんだ……」と最初ちょっと意表を突かれましたが、よくよく考えると私も和菓子は好きじゃないですが、日本国内で誰かの家に行く時はようかんとか持っていくこともあるかもしれない。

フルーツサラダのココはあんまり好きじゃないのですが、コカーダはわりと好き。砂糖水で固められたことによってほどよくしんなりし、それでいてちょっと歯応えのあるきゃしゅきゃしゅした食感がいいのです。そういえば昔から、せんべいはちょっと湿っているのが好きだった。

すごく甘いんですが、ココには味がないのでちょうどいいです。とはいえ、人によってはやっぱり甘すぎると感じるでしょう。

以前住んでいたところでは、スーパーに行く道の途中に年輩の女性が座って「ラスコカー」と言いながらコカーダを売っていました("Las codadas". と言ってたんだと思います)。この前久しぶりに通ったら、そのあたりがちょっと様変わりしていて、彼女はいませんでした。おばちゃん元気かな。一度も買ったことはないのですが。

2010年2月10日水曜日

コロンビア救助チームの災難

災害救助犬 の記事に書いたフランシスコですが、どうもコロンビアからの民間救助チームはひどい目にあったようです。

1月30日の新聞によると、彼らはその前の週に帰国できるはずだったのが、政府が送るはずの飛行機が到着せず、空港周辺でずっと待たされている状態だとか。

人間も大変ですが、犬もかわいそうです。犬には自分がはたして家に帰れるのかどうか、事情が全く理解できないわけですから(ハンドラーはフランシスコでも、彼の飼い犬なのかどうかはわかりません。私がグループにいる時、彼は自分の犬を持っていませんでした)。

その記事には「今日、空軍機が彼らを迎えに来る予定」と書かれていたので、おそらくもう戻れていると思うのですが。

2010年2月9日火曜日

ツイッター始めました

ツイッター始めてみました。
http://twitter.com/quinaco

目に付いたニュースなんかを流そうかなと思っています。スペイン語解釈能力がアレなので、間違っているところもけっこうあるんじゃないかと思いますが……。

ところでツイッターって、何か特別なソフトがいるのかと思ったら(メッセンジャーみたいに)いらないんですね。

昨日今日、妙に「ロサリオ・ティヘラス」ドラマ版の話題が多いですが、見るつもりはありません。

2010年2月8日月曜日

コロンビアの家庭料理

いまさら認識したコロンビア風メニューの話です。

コロンビアの料理(昼食メインなので主に昼食)は、日本の基本献立といわれる一汁三菜で成り立っています。ごはんとスープ、主菜(肉や魚)、野菜のようなもの(なぜかこれを principio(主要なもの)と呼ぶ。前菜の意味でしょうか)、それと芋です。これに生野菜サラダやプラタノ(調理用バナナ)が付くことも。さらに飲物(果物のジュースが本式。店によっては炭酸飲料)、ちょっとしたデザートが付くと完全なメニューとなります。レストランで「昼食(almuerzo)」と呼ばれるものは、すべてこれのバリエーションです。

野菜のようなものはなぜか、スパゲティに置き換えることができます。そうすると野菜が不足しますが、おそらく本来はスープで野菜を補うことになるのでいいのです。

しかし日本の味噌汁などと違い、コロンビアのスープは具だくさんの上に量が多いので、私はあんまり飲みません。レストランではスープを果物の切ったものなんかに置き換えてくれることがあります。

家ではレストランと同じものを作るなんて無理だと思い込んでいたんですが、今回のお客さんの料理の様子を見ていて、家で作る時は微妙に手抜きが可能であることがわかりました(レストランでもそうしているのかも)。

まず、スープは骨付きの鶏肉で取ることが多いんですが、これはスープができあがったら引き上げてしまいます。また、スープによく入っている芋類も引き上げます。そしてそれぞれを一品とすれば、これで三菜のうち二菜ができあがり。

スープに入っていた肉や芋は味が薄いので、これにギソというものをからめます。

ギソは見ていると非常に簡単なもので、粗みじんにしたトマトと玉ネギを炒めて塩で味を付ける。基本はこれだけ。ネギは長ネギでもかまいません。

これにスープを少し加えて煮つめるとさらにソースっぽくなっていい感じのような気がします。

私はこれまで芋の存在を軽視していたんですが、芋は大事なものらしい。コロンビアの米はパラパラしているので、芋をつぶして米と混ぜるように食べるようです。

ところでお客さんがギソを作る場面を見ていて驚いたんですが、彼女はまず鍋に玉ネギとトマトを入れ、それから火を付けて、しばらくしてから油をそこに注いだのです。

なるほど、そういうことをするからコロンビアの料理は油っこくなるのか……。私は普通に油を温めてからトマトと玉ネギを炒めています。

コロンビアには油を温めてから炒めるという概念がないのかどうか、それはわかりません。プラタノを揚げる時は油を温めるんじゃないのかなぁ。

油を温めないので当然こげつきやすい。コロンビアの人が道具を大事にしないとは思わないのですが(かなり古い鍋などをいつまでも使っている家は多い)、がんがん使ってがしがし洗う、これがコロンビア流のようです。

2010年2月7日日曜日

泊まり客来襲

先週は(といっても日本時間では既に日曜でしょうから、先々週ということになりますか)泊まり客があって、ちょっとばたばたしていました。

夫の親戚筋の人で、ティーンエイジャーの男の子とそのお母さん。男の子のアメリカビザ申請のため、地方からボゴタに出てきたのです。

夫も私も彼らとは初対面だったので、特に私は緊張しましたが、どちらも気さくな人で助かりました。

しかしこんなにスペイン語で頻繁に会話したのは初めてで、彼らが帰ってしばらくは耳の中でスペイン語が「うわーん」と唸っていました。スペイン語でというか、そもそもあんまりしゃべらない生活なので、日本人の友人たちと会ってしゃべっても、何時間か「うわーん」となります。

泊まっていったお母さんの方が食事を作ってくれたりして、かえってこちらの方が世話になったような。ただ、食材がけっこう余ったので、彼らがいなくなってから数日はその処理に追われました。私は「冷蔵庫満杯恐怖症」なので(いうまでもなく造語ですが)冷蔵庫は限りなく空に近い状態でないと落ち着かないのです。夫はそうではないようですが、食事を作るのは私なので管理権は私にあります。

でも、普通のコロンビアの人の食事の作り方を間近に見たおかげで、コロンビア式献立の立て方がちょっとわかった気がします。これでも在住10年。遅すぎですが料理は苦手なので……。献立の話は次回に。